~1940年代
米国NCRの創立者であるジョン・H・パターソンは、企業経営の新しい原理を創出し、自ら実践。
それは米国の数多くの実業家に伝播し、彼らはパターソンを“近代セールスの父”と崇めた。
パターソンは、組織のベクトルを統一させるための標語(モットー)を企業経営に採り入れ成功させた最初の人物でもあった。
その一つが「THINK!(考えよ)」である。
顧客のニーズとは?創造的販売とは?販売目標の達成は?…日々の仕事で絶えず要求される「THINK」は、営業マンの“考動”としてNCRの社内に定着していった。
そればかりではない。この「THINK」という標語を多くの企業経営者たちが受け継ぎ、偉大なる「革新」の源泉とした。パターソンの考え方・理念は、ダイナミックに世界を変える大きな力となっていく。
それまで日本に存在しなかった「金銭登録機」が普及するきっかけに。輸入した製品をそのまま販売するのではなく、
日本人に馴染みが深い木目調仕上げの外観にカスタマイズしたことで我が国の市場に受け入れられた。
1940年代~1950年代
1953年、日本NCRの進言と支援により、わが国初となるセルフサービス式の小売店(現在のスーパーマーケットの原形)が東京・青山に誕生。
当時、店頭での販売方法は対面式だったが、セルフサービスが小売業の主流へと転換していく契機となる。
アメリカの小売業主導の流通革命を提唱し、小売業経営の近代化を紹介した日本NCR。その啓蒙・教育活動を活発化させるべく、
1956年にはMMM(Modern Merchandising Method)大学を設立。世界中の小売経営者が勉強のために訪れた。同大学が掲げた近代小売業の条件「7エレメンツ」にもセルフサービスが挙げられている。
日本NCRが世の中にもたらしたのは、レジスターという機械だけでなく、店舗オペレーションを著しく効率化し、精算をより円滑にして人々のライフスタイルにゆとりをもたらす「革新」であった。
1960年代~1980年代
1965年、オンラインによる勘定系システムを導入した銀行が登場。60年代末までに他の都市銀行がそれに追随し、70年代に入ると地方銀行、相互銀行、信用金庫も続いた。金融機関の本支店がオンラインで結合されることにより、預金の預け入れ、引出し、自動引落し、振込みサービスが充実した。
そして、1971年にNCRが開発したCD(現金自動預け支払い機)の登場により、金融機関の顧客サービスは格段の向上を見せることになる。それまでお客様がロビーで20~30分待たされることは当たり前だったが、CDなら数十秒で取引が済むため爆発的な導入カーブを描いていった。
それは、金融機関にも利用者にも大きなメリットを創出する歴史的な「革新」であったことは言うまでもない。
1979年、日本における最初のJANコードによるPOS/スキャニング・システム店頭実験が「NCR 255/6060」システムで行われた。その後、NCRはJANコード対応のPOSを日本で初めて製品化し、1985年にはイトーヨーカ堂全店にPOSが導入される。これにより単品管理による業務革新が一気に進み、店舗運営の効率化はもとより、地域や個店のニーズに合わせた品揃えが強化。消費者の豊かな暮らしの創造につながっていった。
1980年代~2010年代
2003年、日本NCRはわが国初のセルフレジ「NCR FastLaneセルフチェックアウト」を納入した。これによりお客様のレジ待ちは大幅に緩和され、店舗も大幅な省人化が図れるようになった。
かつて小売業における対面式からセルフサービスへの「革新」を行った日本NCRだが、お客様自身の手で代金の支払い手続きを行うという、従来まで想像することすら難しかった「革新」をセルフレジより実現したのである。
2020年~
いまNCRは“Simple, made possible”をテーマに、複雑化した店舗や営業店のオペレーションを、テクノロジーで“Simple”に変革していくことを目指している。
店舗運営や金融サービスの提供にあたって、煩雑さを減らし、すべての人に「シンプルさ」を開放。それにより新たな顧客体験を生み出し、店舗・営業店改革を実現する。それが、新たな100年へと邁進するNCRの使命である。