部門別合計機能による部門別マーケティングの崩芽
1933年(昭和8年)~1949年(昭和24年)
1933年(昭和8年)に発売された「6000号」レジスターは「2000号」を母体として開発したもので、部門別(8個)、取引別(4個)での集計・管理機能等が強化されました。このレジスターの登場により小売業での部門別管理が可能になり“部門別管理”という最初のマーケティング手法が導入されはじめました。
やがて時代は多分類管理へと移行していきました。第2次世界大戦が勃発、戦時中、NCR製レジスターは『敵産管理』という、厳しい規制を受けました。その間は、日本金銭登録機の名前でサービスだけを続けていました。
終戦後の昭和23年には日本百貨店協会設立といった流通業界復興への第一歩がしるされました。
銀座を闊歩するモダンガール(モガ)
(1933年頃)/共同通信社・提供
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百貨店の語源である「DEPARTMENT STORE」という言葉には読んで字のとおり「百貨」という意味は全くありません。最初はDEPARTMENTすなわち「部門」単位で管理・運営する店舗という意味で創られました。
当時日本にこの「DEPARTMENT STORE」という言葉が入ってきたとき、最初は「部門別大店」あるいは「専門大店」と訳されていました。
大八車でレジを配達
6000号レジスター
部門別8コ、取引別4コの合計器
精算表の自動作成
伝票の明細印刷
1933年(昭和8年)
- 尾崎士郎「人生劇場」が好評
- ナチス独裁
- 宝塚の「ヅカガール」「男装の麗人」が流行語になり、「東京音頭」が流行歌に
1934年(昭和9年)
- 東横百貨店開店
- 日本初のプロ野球団「東京巨人軍」発足
- 女性の髪型にパーマネント普及
米NCRと日本金銭登録機(株)技術提携
日本ナショナル金銭登録機(株)設立
1935年(昭和10年)
- 小作争議・全国で5004件の新記録
1936年(昭和11年)
- 二・二六事件勃発
- 日本職業野球連盟結成(7チーム)
- ベルリン・オリンピックで、女子水泳の前畑が金メダル
N-1600号レジスター
営業記録紙に自筆書込装置、4部門合計器
スライド式レバーのキーボード
1937年(昭和12年)
- 百貨店法公布
- 全米スーパーマーケット協会創立
1939年(昭和14年)
- 第2次世界大戦勃発
1940年(昭和15年)
- 池袋に武蔵野デパート(西武百貨店)開店
1941年(昭和16年)
- 真珠湾攻撃—太平洋戦争勃発
第2次世界大戦により敵産管理を受け販売活動を停止したが、保守サービス活動は続行
1943年(昭和18年)
- 学徒出陣
1945年(昭和20年)
- 原爆投下(広島・長崎)—太平洋戦争終戦
- ヤルタ会談
- ポツダム会談
- 国際連合成立
- 「りんごの歌」大流行
日本ナショナル金銭登録機(株)として再建
1946年(昭和21年)
- 日本国憲法発布
- 天皇人間宣言
- 新円発行
- 婦人警官登場
- 国語審議会が現代かなづかいを制定
1947年(昭和22年)
- 第1次百貨店法廃止
200号レジスター
シングルロック・コントロールを採用
近代的なスチール・キャビネット
1948年(昭和23年)
- 日本百貨店協会設立(128社324店)
- 帝銀事件
- ハガキ2円、封書5円に
- トランジスター発明
1949年(昭和24年)
- ダイエー、株式会社組織に
- 湯川秀樹ノーベル賞受賞
- 三鷹事件、松川事件
- 水泳のフジヤマのトビウオ(古橋)活躍
- 中華人民共和国樹立
- 輪タク急増