NCRのDNA
J・H・パターソンが残したDNA
「事業とは、その人間を引き伸ばした投影である」
企業の魅力を語る場合、創業者の人間的魅力を抜きにしては語れないと言われる。 NCRという企業の魅力を語る場合、創業者であるJ・H・パターソン(1844~1922)を語らなければならない。
1884年に金銭登録機の事業を起こしたパターソンは、米国の実業界の偉大なる成功者の一人という枠を飛び超えて、近代経営の新しい原理を創出し、それらを自ら実践してきた事業の天才とも称された人でもある。 驚くべきことにそれらの原理・原則は、今日なお、世界の多くの実業家が実践しているということからも言える。特に尊敬の念を持って呼ばれる「近代セールスの父」の称号は、当時“うそつきの塊”として世の中から毛嫌いされてきたセールスマンの地位と役割を、社会的に重要なものとして確立させたことである。独創性、行動力、洞察力に秀で、「お腹の中に発電機を抱えた男」と恐れられ、尊敬されたパターソンのDNAは、NCRという企業の特色そのものと言っても過言ではないのである。
ジョン・H・パターソン
(1844~1922)
「J・H・パターソンが求めた営業パーソンの役割とは?」
パターソンは常々「販売は会社の命である」と営業担当者の果たす役割を明確に訴え続けた。 即ち、企業経営の全ての源泉(開発、生産、工場建設、従業員給与他)を支えているのは売上であり、売上の計画をベースに企業の経営戦略・計画・組織等が組み上げられているのである。その結果、売上計画が達成できない事態は即、企業経営に破綻をもたらしかねない。そのため、営業担当者には厳しい売上責任を課したのである。 さらに、販売という行為に尊厳と特異性を与える一方で、ひとつの科学として創り、育て上げ、「生まれつきの営業パーソンはいない。教育によって創られる」と教育・訓練に多くの力を注いだのである。
「NCRには卒業がない」という言葉どおり、継続的に教育・訓練を受けたNCRの営業担当者は1884年の創業以来、販売の世界ではその能力・責任感・使命感を高く評価され続けてきているのである。
営業担当者の指南書
「セールスエージェント」
「J・H・パターソンが求めたビジネスの姿とは?」
創業時、金銭登録機も簡単に売れたわけではない。当時珍奇な機械の登場を前に、世の中の多くの人々は「1セントのペンでできる仕事に、何故125ドルの機械がいるんだ?」といった具合に揶揄され、苦戦したのである。
パターソンは社員に対し「企業経営の医者たれ!」と絶えず訴え、我々が販売するのは金銭登録機という箱ではなく、小売業の近代経営のあり方であり、不正に悩む経営者に対する処方箋であるとしたのである。医者は薬を販売するのが仕事ではなく、顧客の抱える病気という問題・悩みを解決することをビジネスとしているように、NCRのビジネスは顧客の抱える経営上の問題解決であるという考え方は、現代のソリューション・ビジネスそのものといって良いであろう。 単純な製品の販売ではなく、顧客のニーズに立脚したソリューションの創造こそが重要であり、知恵を振り絞っての「創造的販売」が顧客にとっての真のバリュー(価値)を生むとしたのである。
世界初の「ダイヤル式レジスター」
「J・H・パターソンが求めたビジネスのゴールとは?」
パターソンが企業モットーとして常に掲げ、社員に語りかけたものがある。
「Service is Heart of Our Business!」
(サービスこそわが社の生命)
「サービスは企業経営の倫理であり、哲学である。故に事業経営にとっても最も肝要な心得である」とし、当時機械の売りっぱなしが常識だったビジネス界に、操作指導等のビフォーサービス、機械の保守等のアフターサービスという概念を持ち込んだのである。企業の近代化・合理化の期待を担って導入した高価な機械の故障や誤操作は経営そのものの根幹を揺るがすものであり、単なる鉄の塊よりも始末に負えないものであり、何よりもNCRを信頼してくれた顧客の期待と信頼を裏切る行為であると強く戒めたのである。
「サービスと販売は同義語である」というように、プロダクト経済からサービス経済に移行しつつある現代を見越しているかのようであり、SE、カストマーエンジニアの今日の役割をも的確に洞察しているのである。
シュガーキャンプで実施された、
世界最初の社員教育